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研究者コラム 木山慶子(群馬大学)

 

 

 

学校でダンスの魅力を伝えること

               木山慶子(群馬大学)

ダンス文化の隆盛

 

昨年末、平成最後となる「紅白歌合戦」を、(ところどころ)観た。遍く、歌い手は、バックダンサーを従え、

また、自身が踊ることもあった。しかもその一曲一曲のパフォーマンスは、曲(音楽)、舞踊、照明などが一体となった恰も舞台作品に仕上がっていた。思わず、見入ってしまう作品も少なくなかった。昨今、このような歌番組に限らず、テレビ番組において、CMにおいて、人が踊っている場面を観ない日はあるだろうか。日常において、ダンス、のキーワードに出会わない日はあるだろうか。何かにつけ人は踊っている。祭りだといって踊り、町おこしだといって踊り、イベントだといって踊り、何かの応援だといって踊る。要するに、人は、踊ることが(踊りを見ることが)大好きなのだ。

では、この人々を引き付けて止まないダンスの魅力は何であろう。なぜ、人々は、ここまでダンスを愛しているのだろう。

ダンスの魅力

三浦(1995)1)は、21世紀を迎え、ダンスが急速に注目され始めたことに対し、ダンスの魅力を「人間に等身大の生の喜びを教える。生まれ、育ち、やがて老いて死んでいく人間の生の、その喜びと悲しみを、ほとんど直接的に感じさせる」という。それは、20世紀までにあった人々の関心が、イデオロギーの観念から身体へと、そして、政治から生活へと変化したからとする。さらに舞踊のめざすものは、「他者に共感し、他者を模倣し、他者を受け継ぐことによって、人間の基盤を確保し、拡張していくこと」であり、「踊り手が何かになって踊っていると同様に見る者もまた、踊り手を通して何かになっている」という。やはり、踊ることは、踊っている自分がその魅力に取りつかれていると同時に、踊りを見ている自分も、その魅力に取りつかれているということになろう。

モダンダンスの母といわれるIsadora Duncan(1877-1927)は、「私は、自分の人生を踊っているだけだ」という。舞踊家Martha Graham(1894-1991)は、「ダンスが時代を超えて世界に対する魔力を持ち続けているのは、それが人生という演技の象徴だから」だという。「心の中の風景、つまり人間の魂の表出だから」ともいう。

人生=舞踊、ということか。もっとも、これらは、芸術舞踊(家)の舞踊観である。少し肩の力を抜いて、もっと身近に、ダンスを考え感じるとしても、やはり踊ることは、心に中に生じた喜びや悲しみを身体という生きる実体にのせて動いているさま、であり、ココロとカラダの直結したさま、なのだろう。

ゆえに、わくわくやうきうきやドキドキが自分自身の身体の動きとなって表出されたと感じるとき、人は、心地よく恍惚となるのではないだろうか。

かく言う私自身も、ダンスを愛して止まない一人であることは言うまでもない。

踊ることを可能にする技能

ただし、ここに付するべきことはある。恍惚となる(なれる)瞬間は、多くの場合、踊り手が自身の身体を思うように動かすことができたときである。すなわち、めざす動きに対し、うまく踊れた、と感じるときである。したがって、そのためには、身体を思うようにうまく動かすことのできる「技能」の獲得が必要なのである。そして、それらは基礎的技術などの練習の積み重ねというプロセスによって身につくものである。おそらく、他の多くのスポーツにおいても繰り広げられる営みと同様に。

学校体育におけるダンス(表現運動)

学習指導要領において、中学校2年生までで、「ダンス」が必修となった。関係者の努力の結実ともいえようか。永く、芸術か体育かの論争が続いた「ダンス」の位置づけは、もはや、確固として体育の中にあるといえる。そしてそれは、体育という枠組みにダンスがはめ込まれる、ことでもある。ダンスは、体育の一領域として、体育の目標・内容・評価に沿ってその目標・内容・評価が示されている。

学校体育実技指導資料(文部科学省、平成25年)では、「ダンス系」領域は、「表現系ダンス」「リズム系ダンス」「フォークダンス」で構成され、それぞれの特性は「イメージをとらえたり深めたりして表現する」「リズムの特徴をとらえてリズムに乗って全身で踊る」「伝承されてきた踊りを踊って交流する」とする。新学習指導要領(2017)において、学習内容は「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力、人間性等」に整理された。ここで、ダンス領域の課題として取り上げられるのが、そのうちの「技能」であろう。創作ダンスでは、「イメージをとらえることができる」技能、「即興的に表現することができる」技能、「まとまりで踊ることができる」技能とされる。一体それはどんな技能??、と聞き返したくなる方も少なくないと思われる。明確であり具体であるとは言い難い。さらに、これらの「技能」を身に付けた子どもたちは、果たしてダンスの魅力に取りつかれ、踊ることに恍惚となり、ダンスを愛してくれるのだろうか。

体育におけるダンス(表現運動)が、多くの葛藤を抱えていることは明白である。ダンスを愛するものとして、ダンス教育に携わるものとして、学習者である子どもたちにこれほど素敵な(と信じている)ダンスの魅力をどう伝えるか。まずは、その根本に立って、研究を進めたいと思っている。

1)三浦雅士,1995,「バレエの現代」,文藝春秋

                                      (2019年2月11日掲載)

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